医療に振り回された介護保険法案
2つの与党合意、3つの介護保険法案
介護保険法案の目的(第1条)については、私の知る限り、3つの案がある。
作成の日時を追って「第1案」「第2案」「第3案」と名付けておこう。
その3つの介護保険法案作成の間に、2つの与党合意が存在した。
この経緯を追ってみると、介護保険法にはらまれた問題点が浮かび上がってくる。
この法案の変化・変質を説明するキーワードは、医療である。
「第1案」第1条(目的)で、対象者は「要介護状態にある者等」となっていた、6月17日の与党合意に基づく「第2案」では、「加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により介護を要する者等」に変更された。
法案を見なくても、与党合意(法案要綱)に基づく介護保険法案要綱案の目的の項で確認できる。
(法案そのものは公式には、いずれも開示されていない)
この変化については、素直に読む限り、介護対象者を「疾病」を持つものに限定しようとする意図によってつけ加えられたと考えられる。
後述のごとく実質の変化なしとする解釈もある。
「公的介護保険を考えるフォーラム」によって6月時点で両法案は紹介され、この変化に注意が促された。
これに関して佐藤事務局長の論文が「社会保険旬報」10月11日号に掲載されている。
要点は次の通り。
1.対象者を「要介護者」から「加齢・疾病による要介護者」になぜ限定したのか
2.もし「65歳以上の要介護者には限定なしに適用」であるのならば、(第2案)第1条(目的)における限定は不必要であり、(第1案)に戻すべきではないか
3.本来、介護保険は年齢・原因を問わず適用すべきであり、目的は目指すべき方向(介護の権利性、普遍性)を明示すべきである
我々の問題提起にもかかわらず、この「目的」の後退についてこれまで介護保険につき発言してきた他の人々も、介護保険法案の成立を優先してか、沈黙を続けてきた。
これらの人々や、厚生省方面から流されてくるのは、「65歳以上の要介護者はすべて適用、65歳未満40歳以上は、特定疾病が対象で、あとのすべての要介護者は、障害者福祉の対象だ」「実体は変わらない」との解説のみであって、なぜそのような変化が起こったのかは、明らかにされていなかった。
今後、上程されるであろう法案に対して、市民運動がどのような態度をとるべきか、単純に賛成すべきか、改善を要求すべきかを、明確にするため、「介護の社会化を進める1万人市民委員会」等において、私は法案に対する疑問を、文章化して明らかにした。
これに対し、I氏より「回答」があったので、問題把握の一典型例として、紹介しておこう(1万人市民委員会・運営委員会の内部通信)。
現在、1万人委員会は、目的の限定性は削除すべきであるとの方針を明らかにしており、その方向に向け活動の予定である。
事後的解釈論は問題の所在を曖昧にする
I氏によれば、行政法の専門家であるS教授、M教授、T研究員の解釈として
1.目的と給付規定が食い違った場合、立法趣旨・立法事実により解釈される。
審議会等の審議・厚生省の説明では65歳以上は、先天障害であっても給付するとしており、65歳以上は加齢・疾病に関係なく給付、65歳未満は特定疾病による障碍に給付と報道されており、これに政府が訂正をもとめていないことからも、65歳以上の給付は問題ない。
2.「加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等」の「等」は、「加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病」全体にかかるか、「疾病」にかかるか、いずれも解釈は可能であり、給付規定で「要介護状態」が加齢・疾病を要件にしていない(一方、65歳未満には「その要介護状態の原因である身体上又は精神上の障害が加齢の伴って生じる心身の変化に起因するものであって政令で定めるもの(特定疾病)」と限定的に規定されている)ことから、全体にかかるものと解釈される。
3.目的規定と給付規定の関係は、給付規定が第1義であり、目的規定は第二義である。
給付規定が著しく限定的である場合、目的規定を援用して、拡大解釈を図ることはあるが、目的規定により、給付規定を制限することは一般的にあり得ない。
このほか、介護対策本部・香取次長からも、65歳未満の限定給付規定との関係から、内閣法制局からの指示であり、65歳以上の給付は加齢・疾病に限定されないとの確認を得た。
とある。
非常に持って回った、分かりにくい解釈であるが、要は「目的と給付規定は食い違っているが、等があるから、拡大解釈ができる。
拡大解釈の幅は、立法過程や厚生省の見解、法全体から解釈される」ということのようである。
我々の主張は解釈自体を目的にしているわけではないので、我々の主張に対する反論になっていない。
しかし、これからできる法律が、様々な解釈が可能であったり、一般国民には理解できないほど、複雑な法律の(拡大)解釈によってのみ、成り立つのでよいのであろうか。
法律家にとっても、現在問われているのは、疑問の余地のないほど明快な、法律を作ることであって、未だ成立していない法案の解釈をすることではないはずである。
問題は解釈などにはない。
介護保険法の目的が、あるべき公的介護システムの方向を正しく表現しえているかどうかである。
とくに保険制度のメリットとして、行政の恣意でなく、被保険者の権利性が唱いあげられてきたのであるから。
そしてこれが措置制度ではなく保険制度であり、事故原因なき受給資格はありえないというわたくしの疑問に対する答えにはなっていない。
解釈論としてみても問題がある。
反論において「給付規定」と言っている箇所(第7条)は「給付規定」ではない、受給資格の制限を規定している部分である。
受給資格は基本的には第1条で規定され、第7条で制限されているのである。
この意味で「目的規定により、給付規定を制限するなど一般的にありえない」などという主張も理解に苦しむ。
たとえば癌保険の目的に、癌になった場合の治療に給付するとあり、給付規定(受給資格)に患者が手術をした場合は全額、その他治療をした場合は半額と書かれていた場合、患者という受給資格は、癌治療という目的規定により「制限」されていると解すべきであり、癌以外の疾病にも給付するなどとは理解できまい。
一般的には、目的規定のほうが広く、給付規定(受給資格)は同じか狭いのが、普通である。
老人福祉法、老人保健法の構造もそのようになっている。
第1案もそのような構造をしている。その逆の構造の法律があり、それが法の正しい構造であると主張するなら、例を上げてほしいものだ。
措置制度にあっては、目的の拡大解釈によって、広く救済することはありうることは、すでに私の文章で述べておいた。
問題なのは、65歳未満の限定給付のために、目的を制限したとする、厚生省の説明と連動しているこの逆転した論理だ。
そのため制限条項を挿入しながら、拡大解釈をするという矛盾した、理解に苦しむ法案が、つくられようとしているのが問題の核心なのである。
医療が介護保険を変質させている
このように「第2案」のみを見て、事態を解釈しようとしても、混乱するばかりだ、流れとして見ると、理解しやすい。
「第1案」から、現在つくられつつある「第3案」を並べてみると、一層分かりやすいが、「第3案」の全容は未だ明らかでない。
しかし厚生省の担当者から、ちらりと見せられた草稿によると、「第3案」第1条は再び大きく改変され、保険事故原因のみならず、給付内容が列記されているようである。
その核心は「医療」が給付内容として明記されていることにある。
さらに第2条で医療との関わりが強調されて居るようである。こうなると介護保険と言うより、介護・医療保険の様相を呈してきた。
流れを鮮明にするために、「第1案」のまえに、「原案」を仮定してみよう、それは第7条の定義(受給資格)から65歳未満の項を削除した法案である。
これはすっきりした介護保険法案となる、もって回った解釈など必要としない。
さて「第2案」であるが、これが単純に年齢引き下げであったら問題はなかった。
しかし中途半端に特定疾病の要介護者だけを対象にすることから、医療との関わりが生じた。
I氏が、「薮をつついて蛇を出した」と当時ぼやいていたのを記憶している。
はじめ厚生省担当者は、受給資格に65歳未満の場合を加えるだけでよいと考えたに違いない(第1案の成立)。
しかし医療の指導性の主張と、受給制限の欲求がない交ぜになって、65歳未満の特定疾病への介護に引きずられる形で、医療と介護の渾然一体となった目的規定に、変化したのであろう。
しかし担当者は、原型を生かすことを意図して、矛盾する定義(受給資格)を温存し、目的規定を形骸化して解釈するという、法案としては分かりにくい「第2案」を作成したと、推測される。
だが、9月における与党協議で、介護保険に医療が含まれることを明記するという圧力が強まった。これは施設・在宅同時実施への変更のためで、段階実施場合では、鮮明にならなかった社会的入院の圧力が、施設実施のため顕在化したことによる。
療養型病床・介護力強化病院などを、介護保険の中でどう位置づけるか不鮮明のまま、施設介護を介護保険に組み入れなければならなかったことの咎めである。
介護施設における医療問題をどう扱うか、問題の根幹はここにある。
介護保険がすっきりとドイツ型であれば、このような問題は生じない。
医療は医療保険で、介護は介護保険でとなる。
社会的入院の介護保険への移行では問題は解決しない
わが国では、社会的入院たる「療養型病床群」「老人病院」を実質上そのまま介護保険に組み入れようとしているため、介護保険は老人医療の一部をその内部に組み込まざるをえない。
老健審等で長らく討議してきたにもかかわらず、「目的」という、法の根幹部分が揺れ動いているのは、このためであろう。
介護保険をめぐる論議の中でも、医療と看護、そして介護の関わりは、明確にされないまま、療養型病床群は拡大に向かい、老人保健施設と共に、介護保険適用に向かっているかに見える。
これは、福祉基盤の整備が遅れる中で、病院医療が施設介護の大きな部分を担ってきた歴史的経緯によることが大きい。
介護老人にとって医療と介護が同時に必要であるとか、医療と介護の協力が大事であるという、当たり前の事実を、あたかも医療と介護の境界は、分けられないとか、一体的に行われなくてはならないとかの議論に、横滑りさせ、社会的入院擁護の論理に転化してしまうのも、この現実に足をすくわれているかと思われる。
厚生省も療養型病床群や老健施設が介護施設なのか、病院なのか曖昧にしたままである。
ある時は、病院という建物の中にある、生活空間といい、ある時は長期に入る病院といい、一貫しない。
最近厚生省は、「療養型病床群」は社会的入院ではないと言い始めている。
他方、介護力強化病院を「療養型病床群」へ転換する動きは、強まっており、施設要件を除いては、実体は変わらなくなっている。
平均在院日数は両者とも二百数十日であり、両者を区別して論ずる必要はない。
欧米で平均在院日数二百数十日の施設を病院とは呼ばない、ナーシング・ホームなどと呼ぶはずである。
これらが社会的入院でないというのならば、社会的入院とはなにか、「医療の必要がないのに入院している」ということのようである。
これは狭い理解と言うより誤った理解といった方が正しい。
社会的入院の患者は、ほとんどは医療が必要であり、ただ入院医療は必要でないだけである。
この違いをあいまいにすることによって、社会的入院の見かけの数を減らすという厚生省のこそくな「社会的入院解消策」は医療保険の矛盾を介護保険の矛盾に換えるだけであって、真の解決策ではない。
確かに必要な入院医療を直接定義するのは、やっかいである。
医学的にみて在宅医療が可能な患者の入院を、社会的入院と規定する方が分かりやすい。
在宅医療の場合は矛盾がない。
問題の解決を透明にしてゆくためには、医療と介護を別のものとして、必要な老人に、それぞれの保険から給付するという、当たり前の方式へと換えなくてはならず、もっとも重症の老人が、在宅で介護されると言う、現状の矛盾も解決されない。
老人病院における薬漬け医療が、定額制の診療報酬システムによって、改善された事実を、介護施設における定額制医療によって、老人医療問題は解決されたと考えるのは誤りである。
老人医療における定額制が一般的によいのだと、考えてはならない。
薬漬け医療の基盤は、介護費用を医療収入に依存する、社会的入院システムそのものにあるわけで、出来高払い制そのものの欠陥ではない。
医療費支払いシステムにおける出来高払い制の欠陥は、単純に定額制に換えることによって解決できるものではない。
酸素吸入程度のことさえ、老健施設でできないという制度的欠陥など、定額制医療では解決できない長期の要介護者の医療問題が存在し、在宅医療に過度の医療的負担をかけている状況も存在する。
この問題は別に論じるとして、介護保険は初心に戻り、0歳からすべての介護を要する人々に適用し、すべての年齢の病気に対する給付は医療保険でという原則を貫徹すべきである。